名古屋地方裁判所 平成9年(ワ)4127号 判決 1999年1月18日
原告 藤田邦彦 外四名
右原告ら訴訟代理人弁護士 福島啓氏
同 鈴木良明
同 萱垣建
同 米澤孝充
被告 名古屋市立名北小学校PTA 右代表者会長 川島肇
右訴訟代理人弁護士 大場民男
右訴訟復代理人弁護士 鈴木雅雄
同 深井靖博
同 堀口久
主文
一 被告は、原告らに対し、被告の平成八年度(平成八年四月一日から翌年三月三一日まで)における会計帳簿及び同帳簿作成の前提資料である預貯金の通帳、請求書、領収書あるいは振込証書等の会計関係書類一切を閲覧させよ。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告らに対し、被告の平成六年度ないし同八年度(毎年四月一日から翌年三月三一日まで)における会計帳簿及び同帳簿作成の前提資料である預貯金の通帳、請求書、領収書あるいは振込証書等の会計関係書類一切を閲覧させよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 本案前の答弁
1 本件訴えを却下する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
三 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
被告は、名称を名古屋市立名北小学校PTAとし、家庭・学校及び社会の協力によって児童の保護・福祉及び補導に努めること、民主的教育の理解を深めこれを発展させること及び児童の教育的環境の整備に努めることを目的とする権利能力なき社団であり、原告らは被告の会員である。
2 平成九年四月二三日に開催された被告の平成九年度総会(以下「本件総会」という。)において、平成八年度会計決算報告がなされ、その際、決算書記載の支出の部の修繕費について会員から「修繕はおかしいのではないか。一体何を修繕したのか。」との質問がなされ、役員の側から「それは、実際には警報器の購入代である。」との回答がなされた。しかし、後日右回答は偽りであることが判明したため、原告らは、被告の会計のやり方、例えば<1>会費の集め方、<2>財務委員会の活動の実態、<3>監査委員の監査業務の実情等に疑問を抱いた。
3 そして、原告らは、平成九年七月一日付けで、当時被告代表者であった会長伊藤辰之(以下「伊藤」という。)に対し、平成六年度以降の会計帳簿一切及び同帳簿作成の前提資料である預貯金の通帳、請求書、領収書あるいは振込証書等関係書類一切(以下、会計帳簿も含めて「会計帳簿等」という。)の閲覧を請求したが、被告は、同月一五日付けで原告らには会計帳簿等を閲覧する権利はないと回答してこれに応じない。
4 会計帳簿等閲覧権限
(一) 被告は、いわゆる権利能力なき社団であるが、このような団体については組合もしくは社団法人の規定をできる限り類推して法律関係を規律すべきである。
被告の会員である原告らは、団体の構成員として、団体の財産を所有(総有)する一員であり、団体の財産を管理する権限を有する。従って、その閲覧請求ができないとの規則等がない以上、原告らには、原則として団体の財産に関する帳簿である会計帳簿や同帳簿作成の前提資料の閲覧を請求する権利があり、原告らは、被告の平成六年度ないし同八年度の会計帳簿等について、閲覧する権利がある。
(二) なお、会計の記帳は継続性が重視され、支出内容をどのような項目や費目に分類して記載しているかは単年度の帳簿をみただけでは判明しない。少なくとも過去三年分の帳簿を閲覧して会計の流れを把握しなければ、当該年度における収入や支出の正当性あるいは費目等の正当性の判断はできない。
(三) 原告らの会計帳簿等閲覧の目的は、被告の会計帳簿の記載が正当であったか否か、会計監査のやり方が適切であったかどうかを把握することにある。
5 よって、原告らは、被告に対し、会計帳簿等閲覧請求権に基づき、会計帳簿等の閲覧を求める。
二 被告の本案前の主張に対する原告らの反論
1 被告の所有する帳簿は、原告らを含む被告の会員の共同所有(総有)物であり、原告らは所有権(総有権)者として、当然に閲覧する権利を有するものである。
2 帳簿の内容はPTAの経理であり、他の情報はないのであるから、本件会計帳簿等閲覧請求権の有無についてPTAの自律性に関する判断は不要であるし、名北小学校においては全児童の保護者が自動的に被告の会員となる半強制的加入団体であり、かつ、公共的目的を有することから、司法権の後見的判断が容易かつ妥当する。
三 被告の本案前の主張
1 PTAにおいては、会社における商法二九三条ノ六(株主の帳簿閲覧権)の規定や、地方公共団体における公文書公開条例の規定に基づいて裁判所が司法審査をする制度が存しないので、本件訴えは却下されるべきである。
2 自律的、自治的能力を有し、一般社会と異なる特殊な部分社会を形成している場所で起きた一般市民法秩序と直接関係のない内部的係争は、内部規律の問題として自治的措置に委ねるのが相当であり、司法審査の対象とはならない。
本件はPTAという自治団体の内部関係のことであり、原告らに対して何らかの処分をしたものではないから、司法審査の対象とはならないというべきである。
四 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2のうち、平成九年四月二三日に開催された本件総会において、平成八年度の会計決算報告がなされたこと、決算書記載の「修繕費」について会員から質問がなされたこと、これに対して役員が回答したことは認めるが、回答内容は否認し、その余は争う。役員は「警報器移設のお礼」と回答したものである。
3 同3の事実は認める。
4 同4はいずれも争う。
5 同5は争う。
(一) 会計報告書が監査委員の監査を経て総会で承認されているにもかかわらず、会計帳簿等の閲覧を認めることは承認者である会員の総意に反する。
(二) また、被告役員は会員の負託を受けて無償で引き受けて就任しているのであり、各会員からの会計帳簿等の閲覧請求を認めることは、信頼関係を侵害する事態を招きかねない。
理由
一 本案前の答弁について
被告は、本件訴訟の訴訟物は司法審査の対象とならないと主張する。
裁判所法は、「裁判所は……一切の法律上の争訟を裁判」する権限を有すると規定している(同法三条)。「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られると解される。
本件訴訟の訴訟物は会計帳簿の閲覧請求権の存否であり、当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であると解することができる。
次に、本件訴訟の訴訟物が法令の適用により終局的に解決することができるかについて検討する。
証拠(甲一、甲八の一)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 被告は、名古屋市立名北小学校に在籍する児童の父母またはこれに代わる者及び同校に勤務する職員によって組織され、家庭・学校及び社会の協力によって児童の保護・福祉及び補導に努めること、民主的教育の理解を深めこれを発展させること及び児童の教育的環境の整備に努めることを目的とする権利能力なき社団であること、しかし、実際には、児童が同校に入学すると同時に児童の父母またはこれに代わる者は被告に入会することになって会費を徴収され、入会、退会の自由がない強制加入団体的色彩が強いものであること
2 被告の機関である総会では、規約の変更、予算及び決算の審議承認、その他特に重要な事項が議決され、被告の役員としては会長、副会長、庶務、会計、会計監査、顧問があり、これら役員は会員の中から役員選考委員会によって選出されたうえ総会において決定されること
3 会計はすべての金銭の収入支出を記録し、会計監査の監査を経て決算報告をすること、会計監査は年度の会計を監査しその結果を委員会並びに総会に報告すること
4 被告の経費は、会費、寄附金及びその他雑収入をもって支弁されること
右認定のとおり、被告は自律的・自治的団体であって、憲法の保障する結社の自由の趣旨からして、その自律的法規範に関わる紛争に公権力がみだりに関与することは許されないというべきである。
しかしながら、結社の自由も一定の内在的本質的制約に服するのであって、団体内部の紛争が一般的法秩序と関連する場合には結社の自律権は国法によって制約を受け、その制約の範囲は結社の目的・性格・機能により決定すべきである。
いかなる団体であれ、その構成員の会費で運営されている場合には、当該団体が構成員に対し当該団体の会計経理の状況を報告し、構成員の承認を得ることは民法の委任の規定(同法六四五条等)の趣旨から当然の要請であり、構成員が会計報告の適否を判断するために相当の情報が提供されなければならず、団体の性格等によっては帳簿類の閲覧も明文の規定がない場合でも条理上認められるべき場合があるというべきである。
構成員が会計に関する情報をどのような方法により、どのような範囲で提供を受けることができるかについて当該団体の自律的規範に任される部分があることは否定できないところではあるが、帳簿類の閲覧請求権の存否をも含め、会計報告の適否の判断に必要な情報が提供されなければならないということは団体運営に関する一般的規範であり、自律的規範は右の一般的法規範に服すべきものである。
以上によれば、本件訴訟の訴訟物は、結社の内部規律に委ねられるべきものではなく、法令の適用により終局的に解決されるべきものである。
したがって、本件訴訟の訴訟物は裁判所法にいう「法律上の争訟」であって、司法審査の対象となるものである。
二 会計帳簿閲覧権の存否について
前記のとおり、被告は、名古屋市立名北小学校に在籍する児童の父母またはそれに代わる者及び同校に勤務する職員によって構成されるいわゆる権利能力なき社団(いわゆるPTA)である。
法律上、PTAの会計帳簿等の閲覧を請求できる旨の規定はない。しかし、当該PTAの会員の権限は、当該PTAの規約をもとにし、民法の規定や条理をもってその権限を明らかにすべきものであって、法律の明文の規定がないことをもって、閲覧権を否定することはできない。
名古屋市立名北小学校PTA規約(以下「本件規約」という。)上、被告の予算及び決算の審議承認は総会の決議事項とされ、会計は、すべての金銭の収入支出を記録し、会計監査の監査を経て決算報告をすることと規定している。
右の規定は、会員に予算・決算の審議承認権を認めたものであるが、会員が会計処理が適正になされているか否かを審査する方法として、会計報告書の記載内容を検討し、総会において役員に質疑をするなどの方法もある。しかし、会員が、会計報告書作成の原資料となった帳簿類を閲覧し、その正確性を確認することが最も有効な方法であるうえ、そのような方法によってしか、会計処理が適正かどうかを検証できない場合も多いと考えられる。
本件規約には会計帳簿等の閲覧請求権を認めた規定がないが、本件規約は比較的簡単な内容のものであり、帳簿類の閲覧請求の可否までも念頭に置いて規定したものとは考えられないこと、右に述べたとおり、会計処理の検証において帳簿類を閲覧することが最も有効であること、右閲覧が社会通念上相当な方法で行われる限り、被告に過大な負担をかけることはないことを考えると、本件規定が帳簿等の閲覧を否定する趣旨で作成されたとは認めがたい。
以上からすれば、被告の会員である原告らは、被告の会計に関する事務処理が適正になされているか否かを審議決定する前提として、正当な理由がある限り、被告に対し、現金出納帳、収入・支出各内訳簿等の会計帳簿一切の閲覧を求めることができるというべきであり、法律や本件規約に、その会計帳簿等の閲覧請求に関する規定がないことをもって、右閲覧請求権を否定することはできない。
三 閲覧請求の当否について
1 請求の原因1及び3の事実は当事者間に争いがない。
2 同2の事実のうち、平成九年四月二三日に開催された本件総会において、平成八年度の会計決算報告がなされたこと、決算書記載の「修繕費八二九六円備品修繕費」について会員から質問がなされたことは当事者間に争いがない。
3 前記当事者間に争いのない事実に加え、証拠(甲一ないし三、甲八ないし一二の各一、乙二)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 平成九年四月二三日に開催された本件総会において、原告上野正嗣が、決算報告書(乙二)に記載されていた「修繕費」について、「修繕はおかしいのではありませんか。一体何を修繕したのですか」と質問したところ、これに対し、被告会計担当者である名北小学校教頭八神利彦(以下「八神」という。)は、「警報器の購入代に充てた」と答えた。
(二) しかし、警報器は学校の備品であり、PTA会費などで支払うべき筋合いのものではないことを理由にこの支出に疑問を抱いた原告藤田邦彦(以下「原告藤田」という。)は、同年五月一六日、八神に対し、「PTAの会費が警報器に使われているということはありませんか」と尋ねたところ、八神は「そんなことはありません」と答えた。
(三) さらに同月二二日、原告藤田が八神に対して同様の質問をしたところ、八神は「警報器を付け替えるときに、業者に対して支払ったお礼である」と答えた。そこで、被告の運営にさらなる疑問を抱いた原告藤田は、同月三〇日、八神に対し、「PTA総会の議事録、会計簿、それに業者名を記入した帳簿を見せてほしい」と要望した。
(四) 同月三一日、伊藤が来校して原告藤田と面談し、伊藤は、修繕費の謝礼をPTA会費から払ったことに問題があったことは認めたが、帳簿は閲覧させることはできないと答えた。
(五) このような被告の対応に対して他のPTA会員からも不信の声が上がり、原告らは、平成九年七月一日付けで伊藤宛てに「会計帳簿等閲覧請求書」(甲二)を郵送したが、伊藤は、原告らに対し、同月一五日付け「回答書」(甲三)において、「貴殿らには、会計帳簿等の閲覧の請求権はありませんので、貴殿らの請求に応じかねます。」と回答したことから、原告らは本件訴訟を提起するに至った。
4 右事実からすれば、原告らが被告の支出状況に疑問を抱いたことには合理的理由があるということができ、閲覧請求書には閲覧請求の理由が具体的に記載されていることから、会計帳簿等の閲覧を請求する正当な理由があると認められる。
5(一) この点、被告は、会計報告書が監査委員の監査を経て総会で承認されているにもかかわらず、会計帳簿等の閲覧を認めることは承認者である会員の総意に反すると主張する。
しかし、総会における会計報告書の承認は、全会員の同意がない限り会計担当者の違法支出の責任を免除するものではないから、その責任を明らかにするために、会員は会計帳簿等の閲覧を求めることができるというべきである。
したがって、総会の承認があることが原告らの閲覧請求を否定する理由にはならない。
(二) また、被告は、被告役員は会員の負託を受けて無償で引き受けて就任しているのであり、会計帳簿等の閲覧を請求することはその信頼関係を侵害する事態を招くものと主張するが、役員が無償であることは必ずしも経理関係の責任を軽減するものではないから、被告の右主張は理由がない。
四 被告が所持する会計帳簿等の作成・保管状況について
1 弁論の全趣旨によれば、被告がその財務に関する事項につき、「経常費会計帳簿」という呼称で会計帳簿等を年度別に作成しており、毎年、その収支を示す会計報告書が作成されていることが認められ、この事実からすれば、少なくともその元となる現金出納帳、収入・支出各内訳簿等の帳簿は作成されているものと推認される。
2 また、会計帳簿等の保管状況について、証拠(乙三)によれば、当該年度の会計帳簿等は翌年の総会において決算報告の承認決議を得た後、一年間は参考資料として保存するものの翌年の総会終了後に廃棄するのが慣例であること、八神が会計を引き継いだ時点では平成六年度の会計帳簿等は存在せず、八神自身、右慣例に従い、平成七年度の会計帳簿等を平成九年度の被告総会終了後に焼却したことが認められ、この事実からすれば、平成六年度及び同七年度についてはもはや会計帳簿等は存在しないというほかない。
3 よって、平成六年度及び同七年度については会計帳簿等が存在しない以上、この限度において原告らの会計帳簿等閲覧請求については理由がないといわざるを得ない。
五 したがって、被告は、原告らに対し、平成八年四月一日以降平成九年三月三一日までの右会計帳簿等を閲覧させる義務があるというべきであるが、右のような閲覧の目的等からすれば、現金出納帳、収入・支出内訳簿等の会計帳簿に加え、同帳簿作成の前提資料である預貯金の通帳、請求書、領収書あるいは振込証書等までの閲覧が必要である。
以上の次第で、原告らの被告に対する閲覧請求は、いずれも平成八年度につき、現金出納帳、収入・支出各内訳簿等の会計帳簿及び同帳簿作成の前提資料である預貯金の通帳、請求書、領収書あるいは振込証書等の閲覧を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却する。
(裁判長裁判官 青山邦夫 裁判官 黒岩巳敏 裁判官 村瀬憲士)